入院18日目。
NICUのある病院に移されて、ウテメリン3A10滴。マグネゾール12滴くらい?

点滴を2種類も下げ、こんなにいっぱいの薬を入れてでも早産を避けたいってことは、早産のリスクのほうが高いのね。って自分に言い聞かせながら、「本当に赤ちゃんにいいのかな?」と不安になってくる。

ドップラーから聞こえる赤ちゃんの心音は、とても速くて。。。
馬がものすごいスピードで走っていくようでした。

ウテメリンもマグネゾールも副作用があるので,脈が速くなったり、熱くほてったり、手先がふるえたり、
マグネゾールは筋肉を衰えさせるらしく足が思うように動かなかったり。
でもこの時は、そんなことはどうでもよく、とりあえず赤ちゃんが元気に産まれてくれるなら副作用はどこまでも耐えます。って心境でした。
身体がしんどいときは、氷まくらをかしてもらったり、腰が痛すぎる日には腰にあたたかい湯たんぽを使わせてもらったり。割と看護師さんが気をきかせてくださって、薬の数値がアップの日には特に心のケアも含め、いろんなところでやさしくして頂いて、今思い出しても本当に感謝しつくせないほどでした。

入院19日目。
メモより。
今日はまた張りが昨日の夜からなくなった。
いつものパターンでまた腰が重い。
少しでも長くお腹に赤ちゃんをいれてあげたいのに。
私にはどうすることもできない。
くすん。

でもまた1日がんばれた。

入院20日目。
夜また少しウテメリンをあげられた。あんまり後がないのに。マグネゾールも2あがった。
やっぱり張るのよね。
そんなこんなであと2日で30週。そこまではがんばれ。さゆわん。まるちゃん。

入院21日目。
夜中にまたモニターをとった。
とりあえず、張りは少しだけだった。
私のMAXはどこなんだろうか。。。
まるちゃん。まだお腹の中にいてほしい。後1週後1週でもいてほしい。

入院22日目。
いよいよ。30週。
まだまだお腹が張っている感じはあるもののここまでこれた。

「30週すぎれば、もし産まれてしまってもここでは大丈夫だからここまではなんとしてでもがんばりましょう。」といわれた週数。
でも、もう後1週、もうあと1日でも長くいてほしい。
お願い神様。
まるこさま。
張りと限界との闘いだ。
また張りがではじめた。もうおいかけっこになっている。
もう。何なんだろうこの張り。マグネゾールがまた2あがった。
このころの私のできることは、とりあえず心穏やかにぼーーーーっとすること。
あとは、神頼み。
まるこさま。ってお腹の子にも念じてたみたいです。

シャワー禁止。ご飯はベットの上ならOK。トイレは看護師さんが車椅子でつれていってくれてました。
からだ拭きも看護師さんがしてくれていました。
この病院。先生も看護師さんもとってもやさしくていい感じのかたばかりでした。
でも1つ。耐えられなかったことがありました。
4人部屋の部屋は切迫早産で入院中の方だけでなく、部屋が足りない時は、帝王切開で産んだ産後の方もこられていました。帝王切開の後は、血栓ができないように?夜中構わず足を締め付ける機械をつけています。

無事に正期産を迎えた妊婦さんはとてもうらやましく、機械の音が耳について眠れませんでした。
転院して2日目にしてこの夜ばかりは個室に移動したほどでした。
それからなんどか出くわしましたが、その時は気持ち的に耐えれたようでがまんしていました。その時入院していた妊婦さんもやはりきつかったらしく。。部屋が足りないのは分かる反面、心はかなり複雑でした。

今ならなんでそんなことで。。と思いますが。。。
その状況になっている今まさに。の時にはこんな風に思っていました。
わたしは、帝王切開になるのか。下から産むのか。まだまだ分からない行方に恐怖を覚えつつも、最後にがんばるのは自分だな。と徐々に出産にむけて考えるようになっていました。

なかなか治まらない張りに先生は作戦を考えていたようです。
それは薬を数滴ずつあげて日にちをかせいでいく作戦。
限界はどこか?そんな日々になっていました。